民放各社のイベント展開
1970年代終盤から1980年代にかけては景気の動向が目まぐるしく変化する時代でした。放送業界も[低成長][ニューメディア][多局化]と言う厳しい環境のもと、此までの安定成長路線にも陰りが見え、1985年、'86年は全国、北海道両地区テレビ広告費も此までの最低の伸び率に留まりましたが、全国レベルでは全広告費の中でテレビ広告費が主導権を握り推移しました。 この時代の広告費の特徴的な傾向としては、広告費の大都市集中化と、販売に直結した効率的運用でした。ローカル局にとっては広告費の地域への配分が大きな課題であり、このため[エリアマーケッテイング]を標榜しながら道内各局の総力を挙げての努力が続けられたのです。[地域情報]に如何に取り組むかが各放送局にとって最大の課題となり、前のパートで述べたように本格的な地域情報番組が編成されることとなつたのです。又、独自のステーションイメージを出すためにも事業展開は大変重要な課題でもありました。これらの事業を広告主のマーケツテイングとどのようにリンクさせ営業面に反映させるかの努力が続けられたのです。

広告費の時代的変化
このグラフは1985年から'88年の東,阪、名、札各地区の広告費の投下シェアを示したものですが、この傾向は年を追う毎に格差が拡大する傾向にあります。又、広告の露出の面でも、此までの自社ブランドのイメージアップを主眼とした[番組提供型CM]に代わって販売に直結した[スポット広告]にウエイトが移行する傾向が強まりました。道内各局もこれら企業の販売活動を支援するかたちでの営業、事業企画が幅広く展開されましたが、併せて文化、スポーツ、祭りなどの大型イベントにも積極的に参画し、此を企業のマーケッテイング戦略と絡ませながら大きな成果を挙げ今日の各社を代表するイベントとして定着しています。放送広告が放送CMの領域から幅広い領域に拡大する中で、マーケッテイング活動の最大の武器となりつつあります。

札幌雪まつりと放送メディア
世界的にも有名になった[札幌雪まつり]の歴史は古く、第1回の雪祭りが開催されたのが1950年です。当初は大雪像もなく、雪だるまを並べただけの市民の広場でしたが、年々規模も拡大して今日の姿になりました。この様に雪まつりを大きく発展させた一つの原動力はメデイアの力です。新聞、ラジオ、テレビを通じて発信される情報、中でもテレビで紹介される大雪像の美しさに惹かれて国内外から多くの観光客が訪れる様になりました。
テレビ局の中でも最初に参画したのがHBCで、第6回(1955年)からですが、1959年には初めての全国中継に取り組んでいます。
道内テレビ各局は、大通会場にそれぞれ会場を設定して、独自のコンセプトに基づいた建造物などを制作していますが、これらの会場は営業的にも販売促進の場として大きな役割を果たしています。冬のイベントにふさわしい[かまくら企画]
[ホツトドリンクサービス]など多彩な企画も展開されています。雪祭りはラジオ局にとっても大きな活躍の場です。ステージイベントに会場の生中継などにもラジオの特性を生かした取り組みが行われています。
テレビ各社の雪像 (2006年の雪像)

HBCオーストラリア広場

STV広場

雪のHTB広場

uhbイルミネーション広場